オチアイケンタロウという

 

こんにちは。最近みょうがにはまっています。こばしです。

TRIANDでは1周年となった5月から、色々と実験的な取り組みを推進するために TRIAND Lab.(ラボ) というものを作りました。今日はそのラボ所長であり弊社の最高技術顧問でもある落合 健太郎(通称 オチケン)の紹介をしたいと思います。

 

オチケンとは大学の同期でかれこれ10年来の友人でした。
僕とヒラノと同じ学科だったこともあり、グループ制作やコンペなど一緒にいろいろなものを作っていました。旅行なんかも何度も行くようなあいだがらで、みんなデザインが好きだったので暇があるとすぐ「デザインって何だろう」会議(飲み会)なんかをよくひらいてました。

オチケンは、山梨は大月のラーメン屋の息子で、大学の芸術祭ではスープを実家から取り寄せて提供する「オチケンラーメン」なる本格的な模擬店をひらくほどラーメンが好きで、こだわりがありました。これ自体は本格的すぎたことと、模擬店スタッフがお酒を飲み過ぎて赤字でしたが、、このラーメンのこだわりを見ていて、小さい頃から美味しいラーメンをたべまくってくると、ラーメン好きになるんだろうなあと思っていました。

学生時代の彼は昼も夜もいっつもインスタントラーメンを食べていた記憶があり、この人はラーメンとつけばなんでもいいのかと思ったこともありました。

 

大学を卒業し、みんなそれぞれの就職先にいくときに、オチケンはシステム系の会社に勤めエンジニアの道に入りました。もともと凝り性でプログラムにも抵抗がなかった彼は、デザインと決別した職場でもバリバリ仕事をこなし、デザイン系に進んだ人間とはまったく別分野の知識をふんだんに学び、本や雑誌の技術コラムを執筆するほどの、たいへんギークな人となりました。

ある時オチケンは、あまりに多忙すぎて体調を崩してしまい、ダークサイドにおちました。
しばらく後に無事復活を果たした彼は、これをきっかけとしてフリーランスのコンサルという道を歩みます。

 

かねてよりTRIANDは技術が弱いと感じていた僕たちは、彼と組みたいと思っていました。
今年4月、ひさしぶりにオチケンと飲んでいるときに、そんな空気になったので、
控えめなオファーをいっぱい出して、くどきました。

ぼくら「オチケンの技術はスゴい。」
   「相模原はいいとこだよ?」
   「頼りにしている。」「オチケンがほしい。」「一緒にやりたい。」
   「最高技術顧問になってほしい」「自由にやっていいから」
   「あんまりお金は出せないんだけど・・」「デスクを用意するから!」
   「むしろ、何が欲しいのか」
   「だまされたと思って、片足つっこんでみない?」
   「もしかしたら、だまされるかもしれないけど(笑)」

オチケン「・・う、うん」

そうして、こころよい了承を得ました。

 

あれからもう3カ月。

無事オチケンのデスクも出来あがり、一緒に楽しく仕事を進めています。
オチケンこれから、トライアンドをよろしくお願いします!
大月から通うのは遠いだろうから、いつでも相模原に住んでいいからね? (koba)

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一周年目前だから、平野の話

こんにちは、最近亀田 潤一郎著『稼ぐ人はなぜ、長財布を使うのか?』を読んでちょっと良い財布を衝動買いしたkusuです。
 
今回は、TRIAND一周年目前ということで何を書こうかいろいろ考えました。BYSPICEからTRIANDへ、この1年は大きな変化がたくさんありました。法人化もそうですし、社名変更や自社インフラの整備、仕事の取り方のアップデートや新しい方々との素敵な出会い…。そんないろいろな事が嵐のように過ぎていった1年でしたが、その中での1番は?と聞かれたら僕も小橋も『平野の加入』と即答するでしょう。

いまやTRIAND立ち上げのメンバーとして一緒に仕事をしているのは至極当然のこと。ですが、BYSPICEが始まるその瞬間から、口を揃えて「平野が入ってこのチームは完成だ」と言っていた僕と小橋には本当に大きな出来事でした。

なので今回は、『平野加入裏話』をつらつらと書き綴ろうかと思います。長文駄文ですので、本当にお暇なときに読んでみてください。

 
 

なぜ彼は入ったのか。
 

なぜ彼は最初からいなかったのか。
 
 

話は6年前、2006年の5月にさかのぼります。

当時僕たち3人は大学4年生。僕と小橋はTRIANDの前身であるBYSPICEdesignを立ち上げました。平野は普通に就職活動をしていて、メーカーやWEB制作会社の入社試験を受けていました。僕らも正直、後先考えず始めたような部分があったので、呑みに誘うようなノリで人を誘うことはできません。それに大学卒業後の進路というものの重要性もわかっていました。平野も「就職したい」と言っていたし、実際大手WEB制作会社に就職を決めました。僕らは「社会に出てもらっていろんなものを吸収してもらって、こちらもいい環境を用意してしかるべき時に声をかけよう」という結論をだし、それに向けて頑張って行くことにしました。平野もそれを良しと言って社会に出て行ったので僕らは安心しました。

 
 
卒業して2年。2009年4月。僕らはまあこつこつと頑張っていて、学生の頃からルームシェアしていた築40年のボロ一軒家(2階建て)から現在の事務所に移転しました。そのタイミングで平野が会社を辞めるという話を聞き、僕らは満を持して勧誘する事にしました。まだ鍵をもらっただけの何もない新事務所に平野を呼び出し、ダンボールを机にして日本酒を呑みながら話をしました。「ウチにこないか」「いいタイミングだと思う」
 

結果は、見事にフラれました。
 

理由はいろいろあったと思いますが、彼が僕らにいった事はおおむね2つ。ひとつは「一社行ってみたい会社がある」。もう一つは「立ち上げメンバーじゃないっていうのがいまいちテンション上がらない」というものでした。「もしその行きたい会社を落ちたら行っても良い。でも俺は自分の独立への足がかりにしか思えないと思う」と。
 
おいおいおいおいおいおい。話がちげーよ!!!(笑)
就職したがってじゃんか!!いやわからんでもないけどさー。
 
小橋はひどく落ち込みました。僕はその上からの物言いに腹をたててたような気がします。ここで僕らは「この先平野と一緒に仕事をすることはないんだろう」という判断をし、いろいろ切り替えていくことを余儀なくされました。

それからの2年は、平野は新しい会社で、僕たちは自分たちの会社でお互い頑張りました。公私を混同することはなく、友人として関係は続きました。
 
 
そして2011年某日。運命の日を迎えました。
その少し前から平野は会社を辞める事を考えていました。僕らはもう彼を誘うという気はなく、またあっても言ってはいけないと、その話にまさに「人ごと」として接していました。
彼は、お金を貯めて1ヶ月くらいアメリカに行くという計画をたてていました。僕は友人としてその計画に乗っかり、一緒にアメリカ旅行をする話を会うたびにしていました。その日もそんないつもの日になるはずでした。

事の発端は、僕の「おれは仕事しながら旅しようと思えばできるし、終わったら帰ってきて仕事するだけだけどさ、平野は辞めて行って帰ってきて、そのあとどうしようと思ってんの?」という質問だったと思います。
 
 
 
すると突然平野が 『 腹 を 割 っ て 話 そ う 』 と言い出しました。
 
 
 
だてに9年来の付き合いではない僕は全てを理解しました。「ウチに来ないか」

こうしてTRIANDへの流れが生まれました。「一度フった手前自分からは言えなかった」という平野の変なこだわりと言うか男気というか。平野が実際にどう思ってこの選択肢を自分の中に復活させたのはわかりません。もしかしたら打算的なものも含まれていたとも思います。でも確実にあの日あの場所で何かがはじけ始めた瞬間でした。

そして、これから気持ちよく一緒にやっていく上で、お互い条件を出し合いました。平野から出された条件が、また平野らしくて面白かったんですが、
 
 
「 元 カ ノ の 匂 い を 消 し て ほ し い 」と(笑)
 
 
つまり、BYSPICEに自分が入るのではなく、3人で新しく立ち上げたいと。そここだわるな(笑)
その日のうちに新社名の会議を行い、『TRIAND Inc.』が誕生しました。そして法人化も決まりました。

こちらからの条件は「自力で資本金111万をつくってこい」というものでした。
毎日掃除をすることを条件にタダで事務所に住まわせ、資金繰りのサポートをしながら準備は着々と進みました。ロゴ、名刺、WEB、法人化の手続き。そして2011年5月10日、株式会社トライアンドを登記し、6月に平野が正式に弊社に加わりました。
 
 
 
 

僕らは株を1:1:1で持ち合っています。代表は小橋にたってもらってますが、発言力は完全なイーブン。報酬も全く同額です。弊社を見てもらっている税理士さんを始め、各方々から「それはやめた方が良い」「それをやって結局お金の問題で解散した人たちをいっぱい見てる」と心配していただきましたが、僕ら3人はまったく心配していませんでしたし、今も、そしてこれからもこのスタンスで行くと思います。それは、この三人がそのへんで集めてきた三人ではないということ。大学時代にした大げんかも何もかも含めて、紆余曲折、波瀾万丈に時間を共有してきた三人だから、きっと大丈夫だと思えるのだとおもいます。会社自体はまだ1年しかたってませんが、9年かけて造られた土台の上にあるTRIAND一周年。それを目前にしてしみじみと思ったりしたのでした。
 
 
あ〜腕疲れた…あと平野を褒めすぎた。ちなみに今の平野は前述の日記でもあるように最近声優とアイドルに夢中で、僕らをはじめとする9年来の友人達に「いままでの平野の中で今が一番気持ちわりい(笑)」ともっぱらの評判です。(kusu)

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AR.Droneで遊んでみた

こんにちは。最近は声優の「花澤香菜さん」と「ももいろクローバーZの高城れにちゃん」を応援している。
キモい系デザイナーhiranoです。 最近、会社での泊まり込みが多く、年度末大行進して荒んだ心をアイドルに修復してもらってます。

そうそう、予備校から大学まで一緒だった友達がももクロの新曲「猛烈宇宙交響曲・第七楽章「無限の愛」」の監督をやっていると聞いて驚きました! 自分もいつか、ももクロちゃんと仕事したいですね。とまあそんなアイドルと仕事をいききしている中、空き時間を無理やり作ってはAR.Droneで遊んでました。

AR.Droneとは、iPhone / iPad / iPod Touchなどをコントローラーとする画期的なクワッドリコプター(4個の回転翼をもつヘリコプター)です。Wi-Fi通信により、機首と底面に装備したカメラより送信された画像を手元のiPhoneなどに映し出す事が可能です。

これがめちゃめちゃ面白い!ホバリングできる点とiPhoneの画面にコクピット視点で映像が出る点が特に面白い! 操作になれてくると別部屋で本体との視界を区切って、iPhoneの画面だけで離着陸を操作したり、猫を追いかけたりと遊び方も自由!

ちなみに屋外で飛ばした様子はこんな感じでした▼▼▼

▲離陸準備完了!

 

▲いざ!離陸!

▲4枚のプロペラを調整してホバリング!

▲手元のiPhoneで操作中!

野外だとおもいっきし飛ばせるので(風の影響をうけますが…)すごく良い息抜きになりました。 とまあ、ここで終わればきれいだったのですが、この後墜落しました。涙。 飛行時間10分も遊んでなかった気が…。今は二代目のAR.Droneちゃんなのでした。 (hirano)

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