須永剛司 先生から教えてもらったこと:インターフェイスからの転換期

 
 

コンピュータを使った美術教育

 1989年4月。多摩美術大学の上野毛キャンパスに美術学部二部が新設され、「コンピュータを使った美術教育」の授業がスタートした。アップル・ジャパンと産学共同の契約を取り付け、当時1台200万円もしたMacintoshⅡを30台を購入し、須永先生も講師としてヒューマンインターフェイスの授業を担当することになった。1980年代からコンピュータを代表とする思考機能を持った新しい道具が一般生活へ普及したことで、企業がプロダクトデザイナーに対してハードウェアの造形スキルだけではなくソフトウェアの造形スキルも求め始めたのだ。それゆえに、プロダクトデザインの領域から情報デザインの授業がスタートした。人間と道具の触れ合い(ヒューマン・マシン・インターフェイス)と人間と道具の関わり合い(ヒューマン・コンピュータ・インタラクション)である。90年代に入るとソフトウェアの造形スキルを学んだ卒業生は企業側から歓迎される状況が生まれた。
 
 

長野オリンピックの裏舞台

 1998年2月。情報デザイン学科がスタートする2ヶ月前。1期生の受験シーズン真っ只中に人間の身体能力を最大限に引き出すイベント「長野オリンピック」が日本で開催された。表舞台では身体能力を競い合っていたが、舞台裏では日本のハイテク技術を世界にアピールする側面もあった。カーナビの道路交通情報通信システム(VICS)による最短ルートでの大会関係者の運搬、生体認証(虹彩認識)を取り入れた道具の管理などが挙げられる。そんな日本のハイテク技術をアピールしたサービスの1つに、須永先生がGUIデザイン開発で関わっている。『長野オリンピック ビデオ・オン・デマンド・システム』である。これにより、滑り終わった選手が競技内容を即座に確認でき、観客は見逃した競技内容を保存庫から過去に遡って映像を再生することを可能にした。ハードディスクレコーダとテレビをワンセットにしたものを選手村や駅前に設置し、長野オリンピック限定の映像配信サービスだったと感じられる。
 
 

情報デザイン学科の新設

 1998年4月。上野毛キャンパスに美術学部二部が新設されてから9年後、多摩美術大学の八王子キャンパスに日本初の情報デザイン学科が新設された。偶然にも翌月の5月には、アップルがスケルトンカラーで有名な伝説の「iMac」を発表する。箱から出して簡単にインターネットに繋げられる特徴は社会基盤にインターネットが急速に浸透することを前提に製造されたように見受けられる。偶然にも9年前に上野毛キャンパスで購入したMacintoshⅡは、スティーブ・ジョブズがアップルを去った後に発売されたパソコンだったことは大変興味深い。
 
 

モバイル・インターネットの誕生

 翌年の1999年1月。この年はある情報通信技術の産声と共に幕開ける。NTT ドコモが『iモード』を発表したのだ。キャリアメールの送受信やWEBページ閲覧可能な世界初の携帯電話のモバイルインターネットサービスである。常に身につけて持ち歩くことができ、いつでもどこでもインターネットに接続できる端末として捉えれば、ウェアラブルコンピュータの先駆けとしても評価できる。『iモード』はインターネットを持ち歩くことを可能にし、家庭や職場に固定されたパソコンを中心に考えられていたインターネットと人間の関わり合いに変革をもたらした。同年の9月。情報通信技術が発達した未来を描いた映画が公開される。キアヌ・リーブス主演のSF映画『マトリックス』である。仮想空間と現実世界の関わり合いを、身体を媒介にし触れ合うという特徴があった。現代のSNS疲れやLINEいじめといった、仮想空間による現実世界への身体的接触を予期していたのかもしれない。こんな情報通信技術に湧いた時代の中、翌月の10月に情報デザインの国際会議『ビジョンプラス7』が多摩美術大学の上野毛キャンパスで3日間にわたって開催された。
 
 

ビジョンプラス7

 「情報デザインからコミュニティーの構築を考える」をテーマに、人々の生活と社会活動に結びつく「情報」のはたらきとその在り方について、デザインの視点からさまざまな議論がなされた。目を引くのは、この会議に登壇したスピーカー達の顔ぶれだ。折りたたみ式のノート型パソコンの生みの親であり、IDEOの創設者のひとりでもあるビル・モグリッジ氏。共創(Co-design, Co production)やイノベーションにフォーカスしたデザインリサーチ分野の世界的第一人者であるリズ・サンダース氏。インタラクションデザインという言葉をビル・モグリッジ氏と一緒に考案したGUIデザイナーのビル・バープランク氏。「InDesign」日本語版のソフトウェアデザインを手がけたリン・シェード氏など、そうそうたる面々である。注目したい点は「インターフェイス」をキーワードに語っていたスピーカーが多かったことだ。須永先生も以下のように語っている。
 

“情報デザインとは、人々が触れる情報の道具と環境を形づくる分野であると言っていい。そこでは、コンピュータと通信ネットワークの技術が実現している「はたらき」に着目し、ダイナミックにやりとりされるメッセージの「形」を問題にしている。メッセージの「形」とは、情報を扱う人々にとって、それがどのように振る舞うのか、その見え、つまりインタフェースだ。”(須永剛司,1999)

ビジョンプラス7「新しいインターフェイスのモデル」より一部抜粋
 
情報デザインにおける「インターフェイス」分野が注目される中で、次のデザインの分野を示唆するスピーカーもいた。当時、米国のソニックリム(デザインリサーチ会社)に所属していたリズ・サンダース氏だ。20世紀から21世紀へ。時代と共にデザインの対象も「インターフェイス」から「エクスペリエンス」へと移り変わろうとしていたのである。
 

“情報デザインは、1980年代に「ユーザー中心のデザイン User Centered Design」の活動として始まった。その目的は、ユーザーを考慮し情報をデザインすることにあった。インタラクション・デザインは、情報交換の流れにおける時間的な経過に主眼をおいたものだった。今日、私たちは「経験のデザイン」という言葉を聞くようになった。これは、物や出来事あるいは場所に関するユーザーの「経験」をデザインすることをその目的にしている。”(リズ・サンダース,1999)

ビジョンプラス7 「情報デザインの視野を広げて- 情報から経験へ-」より一部抜粋
 
 

肥大化する情報量の分岐点

 総務省の情報通信政策局 情報通信経済室が2008年3月に発行した『平成18年度情報流通センサス報告書』の情報流通量等の推移によると10年間で選択可能情報量が約530倍になったのに対して、消費情報量は約64倍に留まっているとの報告がある。1999年(平成11年)にモバイルインターネットが誕生し、2001年(平成13年)にYahoo!BBがブロードバンドに参入したことで日本の情報量が爆発した。しかし、人間の情報処理能力が情報量に比例して向上したりはしない。これは人間の身体的な制限に関係する。電気信号の伝達速度が約秒速30万kmに対して、神経細胞の伝達速度は約時速100〜400kmなので情報量が肥大化したら処理が追いつかないのだ。したがって、情報量の増大は人間の認知的な負荷が高くなる。例えば、未読件数が膨れ上がり大切なメールを見逃す危険性があるGmaiの受信トレイである。それゆえ、最近は自動でメールを仕分ける機能が付いたのだろう。
 上記の報告書からも平成11年がグラフが急上昇していない最後の年と見てとれる。これ以降は情報量が膨れ上がり物理的に全ての情報を追うことは不可能となる。こういった技術先行型社会の在り方に警鐘をならし、人間がもっと豊かな生活を過ごす未来を描くために須永先生の研究対象が「インターフェイス」から「エクスペリエンス」へ移っていく。筆者が大学に入学したころには「人間の活動を基板としたデザイン開発」と呼ばれていた。しかし、『ビジョンプラス7』が開催された1999年10月は高校1年制の秋で麻雀に明け暮れる日々を過ごしており、当然、須永先生ともまだ出会ってもいなかった。(hiranotomoki)
 
 
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参考文献
多摩美術大学におけるコンピュータ教育の沿革 高橋士郎 
PROVOKE デザイン・インフォマティクス・フォーラム
長野冬季オリンピック・パラリンピックとデザイン
ビジョンプラス7
よい製品とは何か
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目次(予定)

プロローグ

1:インターフェイスからの転換期
2:エクスペリエンスの描き方
2:サービスのデザイン
4:情報デザイン
5:インタラクション元年 任天堂wiiとiPhoneの発売

エピローグ
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須永剛司 先生から教えてもらったこと:プロローグ

 ここ2〜3年、多摩美術大学情報デザイン学科でお世話になった須永剛司 教授(以下:須永先生)と一緒に仕事をする機会に恵まれ、大変ありがたく感謝しています。打ち合わせをしていると、まるで特別講義を単独受講しているかのように錯覚し、授業料を払いたくなります(笑)。学生の時にきちんと話を聞いていればの後悔の反面、学生の立場ではハードルが高く、現場に出ないと理解しづらい内容だったなという気持ちが同居します。
 今、学んだことを振り返れば新しい発見があるのではないか。そしてそれは、自分がデザインを通して社会に提供している価値とは何かを見つめ直すことになるのではないか。あと2年も経てばデザイナー歴10年を迎えます。残り時間を濃密に過ごすためにも、原点である須永先生に教わったことを振り返ろうと筆を執りました。また、須永先生が2015年の3月で多摩美術大学を退任されると聞いたので、何か恩返し?ができればという想いもありました。
 
 
 全ての始まりは2003年の4月。今から12年前に遡ります。情報デザイン学科のオリエンテーションにて、須永先生が「これからは『コト』のデザインです。」と発言していたことは、印象深く覚えています。今でこそデザイン業界全般でこの言葉が飛び交うほどの市民権を獲得していますが、当時はそうでもなく、AXISなどのデザイン雑誌のワンコーナーで取り上げられる程度だった記憶があります。
 須永先生は目に見える「モノ」ではなく目に見えない「コト」のデザインを経験を描くデザイン。つまり、エクスペリエンスデザインの文脈として語っていたと想像しますが実際のところはまだ分かりません(笑)。プロダクトデザインやGUIデザインの延長線上の文脈にある「使いやすいUIを提供して心地よくなってもらう」みたいな狭義の意味合いより、デザイナーこそユーザの活動が豊かになるような体験の設計をしろ、上流工程をやるべきだ!と訴えていました。
 その一方で先生も業界としても、広告やブランド体験の文脈ではあまり語られていませんでした。広告・クリエイティブの専門誌『ブレーン』を眺めてもエクスペリエンスという言葉より、インタラクティブという言葉の方が多く扱われていた印象があります。「スターバックスはコーヒーを売っているのではない!体験を売っているのだ!デザインされた体験なのだ!」と聞いて「それは当然だよね。うんうん」と頷くデザイナーは少なかったのではないでしょうか。
 
 
 学生目線で見ると注目を浴びるどころか、2ちゃんねるの多摩美術大学のスレッドで叩かれていた印象の方が強かったです。「情デの言っていることは意味不明」みたいな罵詈雑言を見かけるたびに、須永先生は間違っているのだろうかと心配になり、情報デザイン学科からグラフィックデザイン学科へ転科したい気持ちでいっぱいでした。
 
 
 そんな状況の中、須永先生は周りの空気を気にすることなく「旅を10倍楽しくすることのデザイン」や「野菜に愛着を持つための道具」とは何か?を研究テーマに学生と日々模索していました。そんな時代の中、以下のような言葉を残しています。
 
 

“これまでのデザイナーの仕事は、そこに在って、具体として見え、手に取れる「対象物」の実感に支えられてきたはずだ。では、情報デザイナーを支える実感はどこにあるのだろう。活動に溶け込んだ「形」はきっと、人々にいい経験をもたらすのだろう。言葉となり語ることのできる「経験」こそ、21世紀のデザイナーを支えるモチーフとなるかもしれない。”(須永剛司, 2003)

多摩美術大学 美術学部 情報デザイン学科 卒業制作作品集 2003 pp249より一部抜粋
 
 
 最近「モノづくり」から「コトづくりへ」デザインが領域拡張していくみたいな話を耳にしたり、UX(ユーザーエクスペリエンス)に関する記事を見かけます。そのたびに須永先生が予言していたことは本当だったと嬉しく思います。「iPhoneを代表するスマートフォンを使って『trippiece』のアプリを使って旅を10倍楽しくする体験」は須永先生が見据えていたコトのデザインの1つの解なのかもしれません。しかし、そのような世界が本当に現実化されるとは、12年前の自分は想像もできていなかったのです。(hiranotomoki)
 
 

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目次(予定)

プロローグ

1:インターフェイスからの転換期
2:エクスペリエンスの描き方
2:サービスのデザイン
4:情報デザイン
5:インタラクション元年 任天堂wiiとiPhoneの発売

エピローグ
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デザインの説明で詩を書くことの有用性について

デザインの打ち合わせやその補足説明のメール、デザインに関する雑誌・WEBの記事などで、「このデザインの世界観は〜」みたいな言い回しを見聞きすることがあります。デザイン制作に関わったことがある人であれば、一度はこの「世界観」という言葉に出会ったことはあるでしょう。「トーン&マナー」や「ルック&フィール」と同じニュアンスで、そのデザインが表現する「舞台設定」としての意味で「世界観」を使用することが一般的で使い勝手が良かったりします。しかし、これは誤用とされ本来の意味は「人の主体的な意義づけによって成り立つ世界についての見解」と解説されています。これだけ聞くとなんとなく分かったような分からなかったような印象ですね。「舞台設定」と何が違うのかと疑問に思いますが、大事な点は「主体的な価値判断」です。

例えば、誰かがあるデザインに対して世界観を感じた状態というのは、その場で何か客観性のある事実や例題、論証などの資料を見て「理解」したということではなく、その人が主体的にあるデザインに対して価値判断した時に初めて世界観を感じた(デザインがその人に世界観を与えた)と言えるのです。その人が情意的に価値判断していると置き換えても良いかもしれません。それゆえに、AさんとBさんに同じデザインを提示した場合、全く異なる価値判断をしている可能性もあるということです。ここはデザインを生業とする人達が恐れている箇所ですね。

では、デザイナーがそのデザインに込めたユーザーに与える世界観をクライアント側でにブレなく感じ取るためには、どういった方法があるのでしょうか?ひとつのは答えは論理であり、演繹法や帰納法を使ってなぜそのデザインが最適であるのかを展開する方法です。これらの具体的な方法は他のブログやデザイン関連書籍などで紹介されていますので割愛し、それとはちょっと違った方法を、弊社での事例を参考にしながら記載したいと思います。

左脳と右脳にアプローチするために

大学生向けのキャリア支援団体のロゴのデザイン依頼がありました。初めての打ち合わせで、筆者らが支援内容をヒアリングした結果、大学生に対して働く意味と将来の道筋を探すためのキャリア支援を事業の柱にしていることが分かりました。そこでロゴのモチーフを考えるにあたって次のような「ストーリー」を立てました。
 
(1)まだ社会に進出していない大学生を若鳥に比喩する。
 
(2)将来の道筋を模索していることを、大空に向かって羽ばたきはじめたことに置き換える
 
このストーリーだとモチーフに鳥を採用した理由は分かりやすいですが感性的な説明理由が欠如しているので、もしロゴのデザインと一緒に上述したような補足説明文を提出した場合、クライアントさんが「モチーフ選定の理屈は分かるがなんとかなく違う気がする…他のモチーフは無かったの?」という判断を下し、モチーフ選定から再スタートする可能性があります。というのは、人間の脳は左脳が論理的なことを右脳が感性的なことを処理するので、左脳だけにアプローチをすると「説得」になってしまうからです。説得だと「なんとかなく」というシコリが残りやすいのです。「納得」するには、左脳と右脳の両方にアプローチをする必要があります。しかし、感性的なことを第三者に伝えることは難しいものです。制作に関わったことのある人であればそのような経験があるでしょう。そこで、デザイナーの考えた感性をクライアントさんに共感してもらうことで右脳にアプローチをします。ここで世界観の出番です。

世界観とは「人の主体的な意義づけによって成り立つ世界についての見解」です。重要なのは「客観的な対象把握にとどまらず情意的に評価されること」は本稿の冒頭部分で記載しました。つまり、ユーザーに与える世界観をクライアントさんが感じ取った状態とはデザイナーが提案したデザインに対して、クライアントさんが主体的にそのデザインの意義を感じ取り、デザイナーの考えた感性に共感した状態と言えるのです。

世界観を感じ取るための記述例

弊社はロゴのデザインに込めたユーザーに与える世界観をクライアント側で感じ取るために、
 

飛び方を知らないあなたは
NATUReの宿り木で羽を休める
いつか羽ばたく大空を夢見て

 
という詩を書いて伝えました。詩は美的感動を凝縮して表現した文学の様式なので、感情を凝縮した言葉で世界観を記述できるからです。言葉の表面的な意味だけではなく、美学的な性質を用いてデザイナーの考えた感性をクライアントさんに伝えることができます。また、詩には物語性が含まれるので読み手を主人公(書き手)の立場へ誘導し、文字に対して主体的に関わることができるという特性をもっています。詩を使うことで、デザインがユーザーに与える世界観をクライアント側で感じ取りやすくし、共感を創出することで右脳へのアプローチも補ったのです。(もちろん、ロゴのデザインが目的にあった表現であり視覚的に右脳へアプローチしていることは大事です!)こういった方法もデザインの意図を説明するための手段と考えられます。
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▲最終的なロゴのデザイン

hirano

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